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名古屋高等裁判所 昭和39年(う)333号 判決 1967年4月17日

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮二年に処する。

原審における未決勾留日数中、六〇日を右本刑に算入する。

理由

<前略>所論は、原判決は、本件発生に至る経緯並びに被告人と村松明が松山組二階事務所において猟銃を手交される際の四囲の状況及び猟銃を手交された後の両名の行動についての判断を誤まり、ひいて本件殺意の有無についての判断を誤まつた結果、被告人に殺意を認めるに足る証拠がないとして、無罪を言い渡したものであるから、原判決には事実の誤認があり、その誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、本件記録を調査し、当審における事実調べの結果を参酌して検討するに、原判決が、本件公訴事実中、被告人が公訴事実記載の日時、場所において、おおむね同記載のごとき経緯から、村松明に相対して所携の猟銃に実包を装填したこと及びこれが発射されて同人の傍らにいた永田篤嗣に命中し、因つて同人を死亡するに至らしめたことをそれぞれ認定しながら、被告人が村松殺意の犯意のもとに装弾し、殺人の犯意のもとに発砲したとの事実は、これを認めるに足る証拠がないと判断したのは、首肯することができるのであつて、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認のかどは存しないものというべきである。すなわち、

一、本件発生に至る経緯について。

原判決が本件の経緯として認定したところ(原判決書二枚目裏一一行目から五枚目裏末行までの部分)は、その大筋において、証拠上肯認することができるのであり、被告人が松山組二階事務所において、同組長松山清こと金清司から本件猟銃を手交されるまでの段階において、被告人に村松殺害の犯意が認められないことは、所論も認めているところである。もつとも、所論の援用する原審第二回公判調書中証人村松明の供述記載部分、同第三回公判調書中証人金清司の供述記載部分、岡田弥生の検察官に対する供述調書及び被告人の司法警察員に対する昭和三八年一二月一七日付供述調書等の各証拠によれば、被告人は、前記松山組二階事務所において、永田篤嗣と村松明とが原判示のように「謝まれ」、「謝らない」の口論の未、掴み合い、殴り合いの喧嘩を初めた際、永田に加勢し、村松側には脇田康久が加担して、ここに、四名入り乱れての乱闘を演じたこと、被告人は、その際、脇田のみならず、村松にも殴る等の暴行を加えていることを認定することができるから、原判決が右村松と永田とが掴み合い、殴り合いの喧嘩をした際、被告人は、村松に対し、何らの暴行を加えた事実がないとした点は、事実を誤認したものというべきこと所論のとおりである。

しかしながら、右四名入り乱れての乱闘は、村松こと金清司の制止により、さしたることもなく、間もなく一応治つているのであつて、この段階においては、被告人に村松殺害の犯意が認められないことは前示のとおりであり、被告人が村松に暴行を加えた事実を、本件発生に至る経緯の中に附加しても、直ちに、所論のごとく、かかる経緯を原因として、次第に本件殺意が形成されたものと認めるに足る証拠もない(殺意を認めるべき証拠のないことについては後述する。)から、右村松に対する暴行の点に関する原判決の事実誤認は、判決に影響を及ぼすことが明白であるということはできず、従つて、原判決を破棄する事由とはなし得ないものといわなければならない。

二、本件殺意の有無について。

本件殺意の有無に関する原判決の判断(原判決書六枚目表初行から一三枚目表四行目までの部分)は、その結論、すなわち、「本件においては、被告人が村松殺害の犯意のもとに装弾し、殺人の犯意のもとに発砲したとの事実は、これを認めるに足る証拠がない。」とする点において、誤まりはないものと認められる。

所論は、被告人と村松明が松山組二階事務所において、金から猟銃を手交される際の四囲の状況について、被告人は、村松が親分金の面前において、「殴られてはこのまま引きさがれない」との啖呵を切るので、愈々憤激の情にかられ、「頭に来た、かつこうつけやなおさまりつかん」といつて決意のほどをほのめかし、金を刺激し、同人から「やれ」と言われれば何時でも村松の殺害を辞さない気勢を示していたことがうかがえるという。被告人と村松が猟銃を手交される直前における両人の言動として、原判決の判示するところは、「村松としては、新井(被告人)等の親分の事務所において、同人等の見ている前で、暴行を加えられたことに立腹し、『此処に来て殴られたのでは引つ込みがつかぬ』と、開き直つた。一方被告人も『どうでも話をつける』と力み返つた」(原判決書四枚目裏末行から五枚目表四行目までの部分)というのであつて、その表現にニユアンスの差があるにしても、ほぼ所論と一致する認定をして居り、当時被告人において憤激の情にかられていたことは、右の原判示からもこれをうかがうことができる。

しかしながら、右被告人の言動から直ちに、被告人が論旨にいうように、決意のほどをほのめかして金を刺激し、同人から「やれ」と言われれば、何時でも村松の殺害を辞さない気勢を示していたと推断するのは、明らかに論理に飛躍があるものというべきであり、また、所論援用の各証拠、その他原審が取り調べたすべての証拠を仔細に検討しても、被告人が猟銃を手交される際に、村松殺傷の決意をほのめかして金を刺激したとか、村松殺害を辞さない気勢を示していたとかいうような事実は、とうてい認めることができない。

次に、所論は、村松明の原審公判廷における証言(前出原審第二回公判調書中証人村松明の供述記載部分)及び岡田弥生の検察官調書等によれば、(1)被告人は、親分金から「やるならやれ」といつて本件猟銃を手渡されたこと、(2)村松が被告人に対面する位置で所携の猟銃に装弾したこと、(3)被告人は、これを見て、「これはいかん、こうなつたら村松を射殺するに如かず」と考え、自己の所持する銃に装弾し、引鉄に指を入れたまま、銃口を村松に指向すべく、右から左に移動しかけたこと、(4)これを見て岡田は射ち合いになると判断し、被告人の背後から「やめて」といつて、同人の肩に手をかけ下方に押したこと、(5)そのため、銃口が未だ村松に指向されないうちに、引鉄の中の指に力が加わり発射して、村松に命中するに至らなかつたこと、(6)被告人が岡田から肩に手をかけられたとき、「お前も死にたいか」といつたことからも本件の殺意がうかがわれること等を十分に認定することができ、本件殺意の証明は十分である。然るに、原判決は、最も信憑性の高い右村松の証言及び岡田の供述を排斥し、専ら被告人の弁解並びに被告人とは共犯関係にある疑いがあり、信憑力の薄弱な金の証言を採用して、被告人の装弾行為を単なる虚勢に過ぎないものと独断し、被告人が銃口を村松に指向せんとして、右から左に移動した事実及び被告人の村松に対する殺意を認めないのであるから、明らかに採証の法則に違背し、重大な事実の誤認を犯したものである、と主張する。

しかしながら、所論援用にかかる証拠を含む後記証拠の標目欄掲記の各証拠を総合考察すれば、猟銃受領後における被告人、村松及び金の行動並びに四囲の状況等は、おおむね原判決の認定するとおり認定することができる。すなわち、

(一)、猟銃の授受が行なわれた前記松山組二階事務所は、ほぼ八畳ぐらいの、さして広くない洋間で、室内には応接用テーブル、椅子等の応接セット数点が並べられているほか、机、石油ストーブ、戸棚等が置かれているうえに、当時金、被告人、村松、永田、脇田、岡田の六名もの多数が入室していたため、きわめて狭隘で混雑していた。

(二)、金は、前述のように、被告人と村松が金の面前で口論してやめなかつたところ、右両人に対し、「本気で殺し合いの喧嘩をする気があるなら、これでやつてみろ」と言つて、両人に猟銃一挺ずつと弾丸二発ずつを手渡し、村松が銃を持つことを躊躇すると、「お前よう持たんのか」と村松を軽蔑するような言葉を用いて、村松に銃を持たせたが、銃を手にした村松や被告人が室外に出ようとする態度を示すと、直ちにこれを制止し、被告人に着席するように命じた。そして、被告人の所持していた猟銃に装填されていた弾丸が発射されて永田に命中するや否や、被告人を「馬鹿野郎」と怒鳴りつけて、その後頭部を殴り、その手から猟銃を取り上げた。

(三)、村松は、金に促されて渋々銃を手にして後、喧嘩相手の永田の指示を受けて実包を装填し、被告人に対し「表に出ろ」と言つて、先に立つて外出しようとする態度を示したが、金に制止されると、これに応じて室内に止まり、その後は応接用テーブルを距てて被告人と向い合う位置に立つていたが、傍らにいた永田から頭を押えられ、頭を下げて謝まるようたしなめられるままになつていた。そして村松としては、右のように屋外に出ようとした行動以外に、被告人側の人々(金、被告人、脇田、岡田)に銃口を向けたこともなく、また「射つぞ」などの言も発していないし、とくに、被告人を挑発するような言動も採つていなかつた。

(四)、被告人は、金から猟銃と弾丸を手渡された後、直ちに装弾しないでしばらく逡巡するうち、先に装弾を終つた村松から「表に出ろ」と言われたでの、これに応じて外出の態度を示したが、金に制止されると、村松同様室内に止まり、更に金から「坐れ」と命じられると、応接用の椅子に腰を下ろし、応接用テーブルを隔てて相対する位置に立つている村松と向い合い、椅子に坐つたままの姿勢で、銃に弾丸を装填し、引鉄部分近くに手指を置いてこれを持つていたところ、傍らにいた被告人の情婦岡田弥生が危険を感じ、被告人の体に手を触れたので、被告人は、銃を持つたままこれを振り払おうとした。

次の瞬間、被告人の銃から弾丸が発射された。

以上のとおり認定することができる。

そこで、叙上の事実関係に基づき、果して金が真実殺し合いの喧嘩をさせる意図のもとに、被告人及び村松に猟銃を手渡したものであるかどうか、また右両人において、猟銃による殺人を企図したものであるかどうかについて考察してみるのに、先ず前記(一)認定のように、きわめて狭隘な室内において、多数の人のいるところで、猟銃による射ち合いをするときは、弾丸は、何人に命中するかも分らず、危険きわまりないことは、自明の理である。まして、村松は、金の弟分である被告人の喧嘩相手であるから、もし、村松に殺意があれば、同人の銃口は、ひとり被告人のみに向けられるとは限らず、被告人側の金自身や脇田らにも向けられないとも断言できないわけである。金が、かような危険を冒すことを覚悟のうえで、被告人や村松に対し、猟銃を手交したとみるのは、前記(二)に認定したような、猟銃手交後における金の行動、態度等に徴するも甚だ疑問であり、むしろ同人としては、当時の部屋内の雰囲気や被告人、村松の態度等から、両人とも口では強がりを言い合つて虚勢を張つてはいるものの、金にとり若輩の両人が、組長である金の面前で発砲するようなことは、よもやあるまいと信じていたものとみるのが相当である。次に、村松に殺意を認め難いことは、前記(三)に認定した同人の態度に照らし、明白であり、この点は、所論も認めるところである。

しからば、猟銃を交付した金にも、これを受け取つた両人のうち村松にも、猟銃を発射させ、或いは発射する意図はなかつたものというべきであるが、前記(四)に認定した被告人の行動、態度等から、被告人だけが、金から猟銃を手渡された後において、突然村松射殺を決意したものと判断することは妥当であろうか。被告人は、金から猟銃を手渡された後、直ちに弾丸を装填しないで、暫らくためらつていた。装弾行為は、相手の村松が先に完了した。被告人は、村松の声に応じて外出する姿勢を示したが、この段階では未だ装弾していなかつた。金に制止されると、室内に止まり、更に金から「坐れ」と言われて、椅子に腰をかけた。腰かけたまま、猟銃に装弾し、これを手にした。傍らにいた岡田が被告人の体に手を触れ、被告人がこれを振り払おうとした次の瞬間、弾丸が発射されているのである。被告人が村松の声に応じて外出の姿勢を示した当時、被告人が村松射殺の決意をしたものとみることができないことは明らかである。村松は、被告人よりも先に装弾して「表に出よ」などと言つて、果し合いをするかのごとき態度を示しているが、これは虚勢からであつて、その真意に基づかないものであること前示のとおりである。被告人は、未だ装弾もしていなかつたのである。被告人が村松の声に応じて外出の姿勢を示したのも、村松同様虚勢からと判断すべき十分の理由があるものというべきである。被告人の装弾行為は、相手方の村松がすでに装弾している手前、これに張り合つて、組長の面前で度胸のあるところを示すための見栄からしたものとみる余地が十分にあるから、これまた、被告人に猟銃発射の決意があつたことをうかがわしめる資料となすに足りないものといわなければならない。

以上要するに、金にしても、村松にしても、被告人にしても、言葉の行きがかり上、銃を持たせ、若しくは持ちはしたものの、また、村松と被告人とは銃に装弾をして、これを携帯していたものの、いずれも猟銃による殺人を企図していたとはみることができないから、これと同旨の原判決の判断は相当というべきである。

所論は、原判決が、前記村松の証言及び岡田の供述により明認できる、被告人が銃口を村松に指向せんとして右から左に移動した事実及び被告人の村松に対する殺意を認めないのは、採証法則に違背し、重大な事実を誤認したものであるというので、以下右村松の証言及び岡田の供述の信憑性について検討してみるのに、先ず、岡田は、前掲検察官調書において、「双方がこんなに怒つて、その場はえらい権幕になつたのですから、これでは本当に猟銃の射ち合いをするのじやないかと私も心配になり、新井さんの後に廻つて、後から新井さんの両肩に手をかけて『やめておきなさい』と止めたのです。すると新井さんは私が邪魔をすると思つてか、『お前も死にたいか』といきり立つて、私が後から止めようとしたのに対し、椅子から立上つて、一度又椅子に尻もちをつきました。」と供述しているのであるが、同女は、被告人の情婦であつて、殊更に事実を曲げて、被告人に不利益な供述をするとは通常考えられないばかりでなく、すでに見た本件発生に至る経緯、とくに、本件猟銃の授受がなされた前後の状況等に照らしても、女である岡田が、被告人らにおいて、本当に猟銃の射ち合いをするのではないかと心配したのも、無理からぬところと考えられるのであつて、右岡田の供述は、その認識したところを正直に述べたものと認められる。そして、右供述によれば、当時の部屋内の雰囲気が、かなり緊迫して険悪なものであつたこと及び岡田が被告人を制止しようとしたとき、被告人が「お前も死にたいか」と言つたことをそれぞれ認定することができるが、右認定事実だけからでは、直ちに所論のごとく、本件被告人の殺意を推認することはできない。けだし、被告人は、喧嘩相手の村松と同様、言葉の行きがかり上、銃を手にし、これに装弾はしたものの、また、当時の部屋内の雰囲気が、被告人と村松の喧嘩口論の続きで、両人ともにいきり立ち、相当緊張した状態にあつたとはいうものの、岡田が心配するように、直ちに被告人をして村松射殺を決意させるほどの、きわめて緊迫した状態にあつたものとは認められないこと、すでに説示したところにより明らかであるのみならず、岡田に対する右被告人の言辞は、虚勢から発せられたものとしても、これを理解できないことはないからである。

次に、村松明は、原審公判廷において、「被告人の持つた猟銃がテーブルの下から現われ、その銃口が被告人の右方から左方に廻つたので、咄嗟に身を退いた途端に、被告人の銃が発射された。」旨供述し、当審証拠調期日においても、ほぼ同趣旨の供述をしていることが認められる。右村松の証言は、被告人の原審公判廷における「岡田弥生が『やめて、やめて』と自分の左手を掴んだので、『自分は危いから離せ』と持つていた銃を左から右へしやくつて振り切つた途端、銃の元折れが戻り、銃が一直線になつた瞬間、弾丸が発射された。」旨の弁解と相反するものであつて、もし、村松の証言のとおりとすれば、被告人は、銃口を村松に指向しようとして右から左へ移動したこととなり、この事実は、被告人に村松殺害の犯意があつたことを推認させる有力な証左となるであろう。

原判決は、右村松の証言を排斥する理由として、「医師舟木治作成に係る鑑定書中の、永田の傷害の部位についての、銃創の射入口と射出口との記載を検討することにより、右村松証言の誤りであることを指摘できる。銃口は、被告人の左方から右方に動き、かつ、下方から上方に向けられていたことが推認できる。」と判示しているが、右鑑定書によると、永田の死体の腹部に四個の射入口を認め、右後胸部に三個の射出口を認めるというのであり、永田の銃創は、腹部から右後胸部にかけて弾丸が貫通して生じたものであることが認められるから、銃口が下方から上方に向けられていたものであることは、これを推認することができる。しかし、右鑑定書の射入口と射出口の記載だけからでは、銃口が被告人の左方から右方に動いたか、また、その逆であつたかは、にわかに推認できないことは論旨の指摘するとおりである。本件においては、銃の発射される寸前、永田が被告人に対し、正対していたのか、横向きになつていたのか、どんな姿勢をとつていたのか、これを確定するに足る証拠はないのであるから、右鑑定書のみによつて、銃口が被告人の右方から左方に動いたとする村松証言を誤りであると断定するのは、早計のそしりを免れないものである。この点に関する原判決の判断は、にわかに首肯することができない。

しかし、村松明の証言の内容を本件記録について仔細に調査し、これを原審及び当審において取り調べた証拠と対照しながら検討してみると、必ずしも全面的に信用することはできないことが明らかである。村松は、せまい部屋内で、至近距離に被告人と向い合う位置に立ちながら、被告人が椅子に坐つたまま、何時猟銃に装弾したのか知らないと述べ、また、岡田が被告人を制止しようとして、被告人の体に手を触れたのも気付かなかつたと述べている。当時村松の傍らには永田がいて、村松に対し、しきりに謝罪を促していたので、恐らく村松は、これに気を奪われ対面する位置に坐つていた被告人や、その傍らにいた岡田らの挙動に気付いていなかつたものであろう。被告人の猟銃が発射されたのは、岡田が被告人の体に手を触れ、被告人がこれを振り払おうとした次の瞬間であるから、村松の証言する「銃口が被告人の右方から左方に動いたのを見た」というのも、きわめて瞬間的な事柄に属し、しかも村松は、その直前の被告人の挙動等を注視していたのではなくて、一瞬何の気なしに被告人の方を見たら、銃口がテーブルの下から出て、すつと動いたというのであるから、その瞬間村松が被告人の銃口が右方から左方へ動いたように認識したものとしても、その正確性については、他にこれを裏付ける証拠も見当らない本件においては、疑いなきを得ない。まして、村松は、本件当時相当量飲酒していたうえ、被告人らと喧嘩、口論し、昂奮して冷静を欠く状態にあつたものと認められるのであるから、前記村松証言に論旨のように最高度の信憑性を認めることはできない。(もつとも、飲酒と喧嘩口論により昂奮状態にあつたことは、被告人も同様であり、そのうえ被告人の立場を考慮すると、被告人の弁解を採用するにも、慎重な検討を要することもちろんであるが。)それ故、原判決がその信憑性に疑いのある村松証言を採用せず、従つて被告人が銃口を村松に指向せんとして右から左に移動したとの事実を認定しなかつたのは、結局相当として是認することができるものというべく、原判決には、所論のごとき村松証言の証拠価値に対する判断を誤つた違法はないものといわなければならない。

以上の次第であつて、これを要するに原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認はないから、検察官の事実誤認の論旨は理由がない。

しかしながら、職権をもつて調査するに、原審の取り調べた証拠によれば、被告人は、おおむね原判示のごとき経緯を辿つて、松山組二階事務所において、組長金から猟銃と弾丸の交付を受け、猟銃に弾丸を装填したうえ、これに安全装置も施さないで、しかも引鉄部分近くに手指を置いたままこれを保持していたところ、傍らにいた岡田が被告人の体に手を触れたため、これを振り払おうとしたはずみに、猟銃を暴発させて永田に弾丸を命中させ、因つて同人を死亡せしめるに至つたこと及び当時同事務所には一時に多数の者が入室していて、狭隘、混雑をきわめ、みだりに銃に装弾するときは、些細の衝撃により暴発による人身殺傷事故を惹起する危険が十分にあつたことをそれぞれ明認することができるところ、叙上のごとき状況のもとで銃を携帯する者は、いやしくも室内において、みだりに銃に装弾するがごとき暴挙は厳に慎しむべきことは勿論であつて、仮りに装弾したとしても、直ちに安全装置を施し、手指を引鉄部分から離して銃を保持するなどして、暴発事故の発生を未然に防止すべき注意義務があることは当然の事理に属するものというべきである。被告人の前示行為が右注意義務に著しく違背する重大な過失によるものであることは、多言を要せずして明白なところであるから、被告人は、本件永田の死亡という結果につき、重過失致死の責任を負わなければならない。

しかるに、原判決は、被告人は、「当初から殺人の犯意を否認し、過失を主張しているのであるが、訴因の追加も変更もない本件において、過失犯の成否を論じ得ないこと当然である。」として、直ちに本件につき無罪の言渡をしているので、その当否について考察してみるのに、本件起訴状記載の訴因は、殺人であつて、検察官が原審において訴因の追加も変更もしなかつたことは、記録上明白であるから、そのままでは重過失致死の事実を認定することができないことは当然であるけれども、右殺人の訴因と前記重過失致死の事実との間には公訴事実の同一性があることは疑いがなく、かつ、重過失致死の訴因に変更し、または同訴因を追加しさえすれば有罪の判決をなし得ることは明らかであり、しかもその罪は、重過失により人命を奪うという重大なものである。ところで、裁判所は、原則としては、自らすすんで検察官に対し、訴因変更手続を促がし、またはこれを命ずべき責務はないが、本件のように、起訴状に記載された訴因については無罪とするほかないが、これを変更すれば有罪であることが明らかであり、しかもその罪が相当重大であるときには、例外的に、検察官に対し、訴因変更手続を促がし、またはこれを命ずべき義務があるものと解するのが相当である。記録に徴すると、原審は、検察官に対し、起訴状記載の殺人の訴因について検討するよう申し入れ、検察官において同訴因を維持するか否かを質していることは認められるけれども(原審第四回公判調書参照)、右原審の措置は、検察官が当初の訴因をそのまま維持するか否か、或いはこれを変更する意図があるか否かを一応打診したに止まり、これをもつて、原審が検察官に対し、積極的に、訴因変更手続を促したものとみることはできない。そして、他に原審が右訴因の変更を促がし、またはこれを命じた形迹は存しない。しからば、原審は、検察官に対し、訴因の変更を促がし、またはこれを命じたうえ、前記重過失致死の事実につき審理を尽すべきであつたのに、これをしないで、殺人の訴因のみについて審理判断し、直ちに無罪の判決をしたものというほかないから、原判決には審理不尽の違法があるものというべきであり、しかも、右の違法は、判決に影響を及ぼすことが明白である。原判決は、この点において破棄を免れない。<後略>(赤間鎮雄 小渕連 村上悦雄)

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